友岡さんとの思い出①~㉘

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亡くなられた友岡さんと親交があった方が、複数の人に出されたと思われるメールが拡散しているようです。「友岡さんの証言は、多くの学会員が知るべき内容」とあるように公開も視野に入れておられると思われますので、後世の検証資料として提供します。
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友岡さんは晩年、学会本部からの厳しい追及や創価学会公明党の本来の理念から逸脱した現状にすっかり打ちのめされていました。
ごく親しいメンバーに本心や学会の内実を語って共感を期待することはあっても、それらを広く公開することはせず(報復やご家族のことを考慮されたのでしょう)、ボランティア活動で貢献しようと振る舞われていました。

しかしながら、友岡さんの証言は、多くの学会員が知るべき内容であり、メンバーの中にはそれにより救われる人もいるでしょう。また、創価学会および公明党とそれらの社会への影響を研究する上での学術的資料としても重要です。

友岡さんの証言は重要であるとは言え、友岡さんの意見です。なるべく客観的に物事を捉え、自分で考えて消化することの必要性を示唆したいと思い、個人的な思い出話や人物評を併記しました。

私は、友岡さんが早く亡くなった理由は、友岡さんの証言が早く公開されることで、より良い方向へ進むために必要であったためだろうと思っています。インターネットの別の場所でも、友岡さんが逝かれたのを期に、友岡さんが語ったことがどなたかにより公開されています。

【友岡さんとの思い出1】
私が友岡雅弥さんと最初に会ったのは、私が阪大の博士課程の学生の時だったと思う。院生会議の会合で関西本部あたりの会館に行った際、幹部指導のような形で話をされていた。当時、友岡さんは教学で有名な人で、色んな会合やセミナーで講師として呼ばれて話をされていた、いわゆる、売れっ子だったのではないか?
当時の友岡さんは気迫と自信に満ちていた。
会合後、教学についての質問をひとつしたのだが、その回答がどうも期待と噛み合わなくて釈然としなかったことを覚えている。
^^
【友岡さんとの思い出2】
友岡さんと再会したのは、私が英国から阪大に戻ってきて、関西学術部の若手の会合に参加した時。友岡さんは、壮年部らしくなったのか、以前のような気迫がある雰囲気ではなくなっていたのが印象的だった。
若手の会合は基本2~4ヶ月に1度くらいのペースで、そこでの大白蓮華の先生の御書講義の勉強会の講師に友岡さんを呼んでいた。
友岡さんと顔見知りとなったので、Facebook友達になった。しかし、友岡さんのタイムラインに書き込んだ私の意見が気に入らなかったようで、友岡さんは激昂して私をブロックした。本部職員でありながら学会の後輩をブロックするとはケシカラン人だなと私は憤慨したが、後に複数の人から聞くところによると、友岡さんはメンタルが不安定なところがあるとのことだった。Facebookで気に入らない人はバンバンブロックしていたようで、彼にとってはFacebookはそういう扱いだったのだろう。
そんな事件があっても、学術部の会合では何事もなかったかのように顔を合わせていたので、変な感じではあった。会合で顔を合わせてはいても、挨拶程度で、親しく語り合うことはずっとなかった。特段、険悪な雰囲気があったわけでもない。
講師の友岡さんの話はおもしろかった。ときどき、ブラックジョークも言っていたが、理のある話であり、問題はない。ただ、人づてにその冗談を聞くと、疑心暗鬼を掻き立てられ、不満に思う幹部がいるかも知れないな。教学面では、友岡さんの見解に賛同するところ、学ぶところもあれば、大いに反対のところもあった。
友岡さんの信奉者やシンパみたいなメンバーはそれなりに多いのだが、私はそういうことは全くなかった。^^

【友岡さんとの思い出3】
友岡さんは教学で有名。学会機関紙に寄稿されていたり、著書『ブッダは歩むブッダは語る』がある。以前の関西長が言うには、学会内でサンスクリットを読める若干名のうちの1人だったらしい。
友岡さん本人が言うには、池田先生が学会の新しい本当の人間主義の教学を確立するために呼ばれた数名のメンバーのうちの1人で、著書『法華経の智慧』の編纂に携わったとのこと(池田先生には著作をサポートするメンバーが幾人もいたが、友岡さんはそのうちの1人だった)。
また、大聖人の立正安国論の真蹟で、国の字が、国構えに民と書いてあることに、初めて気づいて指摘したのだそうだ。
教学だけではなく、友岡さんが言うには、男子部時代は、(部長としてだったか)折伏の成果で全国制覇をしたことがあったそうだ。後年は、一番苦しんでいる人を支援することが大事との観点から、メンバーの家庭訪問だけでなく、様々なボランティア活動(西成の炊き出し・こども食堂・ハンセン病差別被害者・震災復興の支援など)をされていた。後述するが、そのボランティア活動が学会本部には疎まれていたそうだ。

【友岡さんとの思い出4】
友岡さんは、多読の人であり、様々なことについて幅広い知識をもっていた。教学については、広範な知識があったのに加え、素晴らしいひらめきのある人だった。特に人間主義の視点。
個人的に、90年代の池田先生の『法華経の智慧』や『法華経 方便品・寿量品講義』は、従来の教学とは一線を画する斬新なもので、特に感銘を受けていたこともあり、新しい教学の確立に携わった友岡さんの人間主義の視点についての洞察は、興味深く、共感を持って聴いたものだ。
一方で、友岡さんは、教学に関して、おかしな主張も言っていた。色んなグループへの講義でそれを話していたと思うので、特に関西の多くのメンバーが友岡さんから見聞きしたことある内容だと思う。

【友岡さんとの思い出5】
私が友岡さんのことを書いている理由は、友岡さんは、晩年、学会本部から資金を不正使用したとして処分され、組織から排斥され、不遇な立場に置かれたことがある。友岡さんのような学会内の有名人で功績があった人が、どうしてそのようなことになったのか、気になっているメンバーもいると思う。
私は、たまたま縁あって、友岡さんが亡くなるまでの10年間の様子を少しばかり知っていた数少ない学会員のひとりである。そこで、私が見聞きしたこと、思ったことを記しておきたいと思った。学会本部や友岡さんの振る舞いや対応がどうであったのか、友岡さんが私に語ったことも含め、考える上で参考になることも記載する。そこから前向きに学べることがあると思う。

【友岡さんとの思い出6】
友岡さんは、教学について素晴らしい見識がある一方、おかしな主張もあった。知る限り2つの点で全くおかしいと私は思っていた。
ひとつは、「鳩摩羅什の妙法蓮華経二十八品の成立は、学会教学で教えてきたことは事実と異なる。安楽行品や普賢品は本来の法華経の教えでないものが後世に混入したもので、差別思想が入っている。安楽行品は権威主義的であり、また、自分はハンセン病差別被害者の支援も行っているが、歴史的に普賢品の癩病(ハンセン病)の記述がその差別の根拠となった。自分の生涯の目標のひとつは、法華経からこの二品を除くことである。」といった友岡さんの主張である。
私はこれを聴いてとんでもないことだと思った。たとえ近年の文献学的に安楽行品と普賢品の成立に疑義があったとしても、日蓮大聖人はこの二品を含めて法華経は一字一句全て真実であるとされ、それを身読して日蓮仏法の教学を体系づけその力用と功徳をあらわされたのである。いわば、法華経二十八品は大聖人によって再解釈され全て真実と証明されたのであり、そこを基盤に今日も教学を考えなくてはならない。大聖人は安楽行品の摂受が関わる矛盾についてご存知であり、御書で言及して解決されている。悪いことに友岡さんは安楽行品の内容も誤解しながら語っていた。また、普賢品で癩病が出るのは妙法の力用と真実をあらわすためであり、差別のためではない。法華経が悪いのではなく、その解釈を誤った後世の者が悪いのである。もし友岡さんがこの二品を法華経や学会教学から排除したいと考えるのならば、道理に基づいた根拠が必要であり、大聖人を超えて身口意の三業をもって証明して新しい仏法を体系づけなくてはならない。しかし、そういうことはまったくなかったのである。
この教学についての誤りは重大であり、友岡さんの立場で色んな人に語っていたことは甚だしく問題があったと言えよう。

【友岡さんとの思い出7】
教学について、友岡さんのもうひとつのおかしな主張について書く。友岡さんは、仏教が宿業を説くことを嫌悪していた。「今のお前の不幸は過去世の悪業のせいだ!自業自得だ!」として今現在苦しんでいる人を貶めるだけで救おうとしない無慈悲なものの考え方を非難しかったのだろう。私も、宿業論を振りかざした無慈悲は違うと思う。
だが、友岡さんには行き過ぎがあった。いわく「三世の生命を貫くカルマの因果論は本来の仏法ではなく、仏法は縁起論である。佐渡御書に『経文を見候へば烏の黒きも鷺の白きも先業のつよくそみけるなるべし』と大聖人は従来の宿業論を挙げて『是は常の因果の定れる法なり』とされているが、続いて大聖人は『日蓮は此因果にはあらず』と因果論を否定されているのである」と。
しかし、この友岡さんの理屈は全くおかしい。そもそも法華経二十八品は三世の生命の因果が説かれているのである。例えば、釈尊が、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の王子であったとか、末法の未来世に地涌の菩薩が出現するなどである。大聖人の立場も仏法も、その法華経を土台に構築されている。
また、佐渡御書の『日蓮は此因果にはあらず』のくだりでは、直後に『法華経の行者を過去に軽易せし故に・・・大難に値るなり』と、大聖人は三世の因果と宿業を述べておられるのであり、それを否定などされていない。基本的な国語力のレベルで友岡さんは佐渡御書の解釈を間違えていた。
どうしてそのようなはかない誤りをするのか私はいぶかしく思った。そして、組織内で、人気者で信用のある友岡さんがこうした持論を展開しているので、メンバーが悪影響を受けることを心配した。
そこで、友岡さんがFacebookでこのことを書いているのを見て、私は丁寧に疑問点を提示して反論をした。でも、友岡さんは反発して全く聴く耳をもつことはなかった。Facebookでのこの私の友岡さんの意見への書き込みが、後に私が友岡さんからブロックされた理由のひとつだと思う(直接的には移民問題についての意見だが)。

【友岡さんとの思い出8】
大聖人は「智者にわが義破られずば用いじ」と言われている。常に真理を求め、より優れた思想を探求する姿勢は大事だ。
ただ、学会教学や、ましてや大聖人の教学を変更しようとするならば、十分な根拠と慎重さが必要である。友岡さんは、少なくとも私が述べた2つの重要命題について甚だ論理薄弱であり誤っており、また、慎重さを欠いていた。そのようなことでは、大聖人の時代に沢山いた迷惑の学者・法師が持論を展開したのと同様なことになってしまう。自らの持論に合わせるために仏法を都合よく利用する摧尊入卑になってしまう。さらに、正論を無下に拒絶していては、学者のブレインストーミングだと弁解する余地すらなく、謗法者になりかねない。
そいうこともあったので、後で友岡さんの証言を引用するが、あくまで友岡さんの意見であるから、それを目にする人は各自で真偽を考えながら受け止めるべきだ。
友岡さんは天才的な人であり、そういうタイプの人は、しばしば風変わりな振る舞いがあったり、奇人・変人であったりするものだ。そのために、友岡さんから嫌な思いをさせられたり、快く思わないメンバーが少なからずいたことは事実である。
一方で、その数以上に、友岡さんに救われた人は多いと思う。友岡さんが、数多くの個人相談や指導や激励や講義をしてきたことも事実である。

【友岡さんとの思い出9】
2009~2016年にかけての関西学術部の若手の会合で、私は、友岡さんの講義を25回ほど聴いた。たしか2016年12月、友岡さんが出席した最後の講義の時、友岡さんの様子がおかしかった。元気がなく、声がかすれてきちんと出ておらず、ろれつが十分に回っていなかった。
「友岡さんどうしたのだろう?」「体調悪いのだろうか?」と気にしている参加メンバーもいた。私は、友岡さんは心理的に不安定なところがあり、薬も飲んでいるというから、薬の副作用なのかな(?)とも思った。後日わかったことだが、友岡さんは組織内で査問を受けていて、その後遺症でそうなったようだ。
2016年を最後に、友岡さんは学会の会合に出られなくなった。人づてに聴いたのは(正確は表現や内容は忘れたが)、資金の不正使用のため処分され、役職解任、会合への参加(招待)禁止、ということではなかったかと思う。
その後しばらく経ってから、友岡さんからFacebookの友達申請が来た。

【友岡さんとの思い出10】
私が友岡さんからFacebook(Fb)の友達申請とメッセージをもらったのは、2018年の1月。会合で最後にお会いしてから約1年後だった。
その時のやり取りは次の通りである。
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2018/01/17
友岡さん:友岡です。復活しました(まだ体の調子は、査問の後遺症でPTSDでますが)。 再度、友人として、お付き合い願います。
2018/01/18
お互いに通話したり、オンラインのステータスやメッセージの既読状況を確認したりできるようになりました。
私:お世話になってます。あれ?、以前、私、友岡さんにFbをブロックされたのですが(すごくショックだったんですが)、覚えていらっしゃいます?^^
友岡さん:ごめんなさいね。申し訳有りません。
私:あんまり、面白いタイムラインはありませんけれども、よろしくお願い致します。
その後も会合では普通にお付き合いしてましたので、不思議ですよね。^^ 知人からは、不安定なところがあって薬も飲んでいらっしゃると伺いました。また、ネコ好きのネコキャラ(気分屋さん)といった話もありましたので、そのように理解していました。不躾なこと申し上げてますが、ご容赦ください。
友岡さん:いえいえ。あの時は、とても不安定でしたね。
といっても、今は、7回の査問を受けて、さらに、不安定になりましたが、東北に行って、バランス取れるようになりました。
7回、合計17時間でしたね。
私:査問って、噂では色んなところで見聞きしていますが、本当にあるんですね。(以下省略)
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友岡さんは、以前、私をブロックしておきながら、友達申請してきた理由はなんだろうか?理由はいくつかあるかもしれないが、少なくともご本人が書いていたまま、私が友人として付き合える人物だとわかったのだろう。

【友岡さんとの思い出11】
引き続き、友岡さんが私に語ったことを引用する(以降の引用において、長文になるので私からのコメントは一部省略。誤字についてもそのまま載せる)。書かれていた内容の一部は、友岡さんが亡くなった後、ネット上の複数の箇所で公開されていた。友岡さんは私以外にも同じ話をされていて、その人(たち)が公開したのだろう。
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友岡さん:一番最初のものは、本部によびだされて、査問担当の主任副会長、「信濃町のアイヒマン」と呼ばれるAを始めとする6人に取り囲まれて、 お前の社会問題に関する記事は、創価学会の活動を妨げるものであり、その記事に影響されて、ボランティアを始める会員が多くでている。 「自己判断の学会職員にあるまじき記事である」と認めろと、 一つ一つの記事について、ハンコとサインさせられ、その記事を書いたときの、交通費、出張費を、創価学会にお返ししますと。 ハンコとサインを押さねば、このまま何日もここにいてもらうからなと脅されて、 一個一個、何年も前の記事から、確認されて、 合計536万何千何百何十何円単位まで、創価学会に返却。
彼らは、そのまま懲戒免職に持っていこうとしましたので、
実際、その五時間怒鳴られ続けたので、PTSDになってたので、医師の診断書を書いて、自然退職に。
でも、まだ、創価学会の人と話すときは、たとえ、味方(?)の人でも、緊張して、PTSDが出たりします。
私:池田先生は、会員が広がりのある多様な活動をすることを期待されていました。
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(※友岡さんはAの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)
創価学会は社会貢献をうたっているし、本幹でも会員に社会活動を勧めていたこともあったのに、ボランティアがダメというのはおかしな話だ。友岡さんは、ラインの役職就任への要請を断ったこともあったそうだし、今日の学会活動とは一線を画する(個人指導や講義担当はされていたが)態度をとっていたから、本部職員としてはおかしいと咎められたのだろうか?まぁ、そこは査問に至った本質的な理由ではないと思うが。

【友岡さんとの思い出12】
友岡さんの話の続き。
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友岡さん:ある意味、いろんな観点から査問あったんですが、全部、見当違いで、だから普通1、2回の査問が7回になり、 結局、7回終わって、最終の「罪状」は1回目の、勝手な記事書いただけでしたね。 でも毎回取り囲まれてですから、精神的にはかなりこたえました
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「いろんな観点から査問」とは何だろうか?私が指摘した教学の問題も含まれていたのか?それとも、四国の学術部員で学会本部と裁判をしていた高倉良一氏が、友岡さんから聴いた話として、種々のことをブログに記載していたが、それに関することであろうか?不明である。

【友岡さんとの思い出13】
結局、友岡さんに資金の不正使用があったのかどうか。それを尋ねた回答が次の通り。
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私:友岡さんの役職解任理由のひとつに「聖教出張費のボランティアへの流用」という説明が組織でなされていました。取材のない日にボランティアのために福島へ行ったという追及が本部から査問などであって、同意のハンコとサインをしてしまわれたのでしょうか?グレーゾーンなところがあるかもしれませんが。
友岡さん:ああ、それはとても簡単なことで、一つは、家族全員が亡くなり、一人残された漁師さんとかの取材の場合、どーんと一回行って、取材終わりという訳には行かず、 また、日本一のフカヒレ加工業(学会員でない)のところにも、何度も通って、瓦礫撤去の手伝いとかをして、 それで、マスメディアに初めて出てくれた人というのがたくさんいるわけですよ。 最初の取材方針で、若手メンバーが行って、全然だめで、断られつづけてたりした。 どこのメディアも、ボランティアしてなんぼの世界だったわけです。 それで、取材方針として、何度通ってもいい、記事にできなくてもいい、外部の人には、信頼関係をつくれば、それだけで、「学会のためになる」ということだったわけです。 それが、その方針を作った、聖教のデスククラスが、全員、正木派だと、解任されて、 でも、僕は、そのやり方を続けたわけです。 ハンセン病も同じ、どこの新聞社も、何回もかよって、一年に一度大きな記事を書くだけで、その記事の内容について、評価されるわけです。 同じことが、聖教でも方針だったわけです。 それが、そういう人々が全員いなくなり、でも、僕には、「ダメ」という話もなく、出張は、全部OKとなってた。 報告書も、きちんと出してた。 何の問題もなく、OKだった。 それが、突然の呼び出しで、 「取材は全部、電話でするんだ。写真は、アフロ(写真データ会社)から、買うんだ。聖教新聞は、一ページ五万円、最大でも十万円でつくるんだ」と、今まで、なんの説明もなく、そんな規約や通達もなかったのに、 いわれたわけです。
しかも、「私たちはおとなしいからいいけど、組織の男子部とかには血気盛んな人間がいるから、ハンコをつかなかったら家族がどうなるかわからないぞ」ということで。
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「家族がどうなるかわからないぞ」っていうセリフは、どこかでも見聞きしたことがあるけど、職員幹部がよく使う殺し文句なのかな?笑

【友岡さんとの思い出14】
証言の続き。友岡さんの時と同様に、話を変えられてハシゴを外される事例があったとのこと。
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友岡さん:僕が、聖教に出してから、ハーバード・ビジネススクールがそれをみて、研修先に選んだり、テレビ東京のワールドビジネスサテライトや、NHKスペシャルでも、聖教をみて、特別番組とりあげたり、そういう大ネタをつかんできたんですけどね。
ちらっと、今、聖教に残ってる後輩に聴いたら、やはり、取材は直接いくな、電話だけにしろ、写真はその人からメールで送ってもらえ、ということになってると。
2018年1月11日、某全国紙の記者で、ボストン駐在から帰ってきたかた(学会員)さんとあいました。 むこうのボストン21世紀センター(だったか、名前変わったか)でも、僕と同じことが行われたみたいです。 つまり、以前からずっと同じ方針で活動を続けていて、なんの問題もないのに、急にB、Cが、経理書類を全部、過去にさかのぼって提出せよということで、 20年(30年?)の経理書類を、徹夜でそろえて出したところ。 本部の決裁を受けてない、ということで、 (設立の最初の方針が本部のほうからきて、その方針のまま続けていたのに)、 所長は懲戒免職(現所長はB)、 そして、罰金として、退職金はなしということで。 所長は、ハーバード大学のリベラル派の人たちと、先生をつないだ、とても人々から慕われている高潔な人でした。 ハーバード・リベラル派の人の人脈を作ったことが、「悪」とされたと、いうことです。
私:学会は多重構造な世界ですねぇ。美しいものと醜悪なものと。。あんまりヤンチャな愚連隊がのさばってると、現場の麗しい世界もどうにも守れなくなってゆくかもしれません。
友岡さん:まさにその麗しい世界を守ろうとしてる人たちが、次々と査問されてますね。 たぶん、全国で300~400人ぐらいでしょう
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(※友岡さんはBとCの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)

【友岡さんとの思い出15】
先に記したように、友岡さんの処分理由である『資金の不正使用(聖教出張費のボランティアへの流用)』について、友岡さん自身の説明は、当初の取材方針を、なんの説明も規約や通達もなく、一方的に突然変更されたことによるものである、とのことだった。
友岡さんの説明をうかがう限り、本部は、初めから処分有りきで友岡さんを査問し、難癖をつけて処分したように見える。友岡さんの説明はわかったので、いずれ機会があれば、査問した側の説明もきいてみたいと思う。
それにしても、友岡さんは処分が不当であったと考えているようであったが、それならば、一切妥協せずに罪を着せられることを拒絶するべきであったと思う。色んな事情(脅されたり、体調や経済的事情など)があったのかもしれないが、ハンコやサインをして形式上だとしても少しでも罪を認めてしまう手続きをしてしまえば、それを根拠に罪人であると周知され、多くの人からそのようにみなされて不遇な立場に追いやられてしまう。それでは正義を貶めてしまうことにもなりかねない。そのことは、残念なことであった。

【友岡さんとの思い出16】
その後も、友岡さんは、Facebookを通して語ってくれたのだが、その内容は後に引用するとして、ここでは先に、亡くなる3ヶ月前にお会いした時の様子を書く。
2018年の11月末に、共通の友人が来阪するので、久しぶりに会って一緒に食事でもしましょうということになった。
待ち合わせの店に来られた友岡さんを見て愕然とした。2年間見ない間にすっかり痩せてしまっていた。まるで、がんにでもなったか、毒でも盛られたか、福島支援で被曝でもしたのかと思うほど、痩せておられた。
以前は年齢よりも若く見えたのに、64歳の年齢以上、70半ばにすら見えるほど老けておられた。その2年前の関西学術部の若手の会合の際に声が少し出にくそうな様子だったことは以前に述べたが、その症状が進行したのか、この時は声が完全にかすれて出なくなっており、言葉を伝えるのに筆談を必要としていた。
友岡さんによると、こうなった原因は査問の後遺症であり、他に病気はないのだという。友岡さんの様子が衝撃的で、その場の話の内容はよく覚えていないのだが、友岡さんが繰り返し訴えていたことは、査問がいかに酷かったかということである。査問は東京の本部であっただけでなく、関西本部でも行われ、その時の中心者はDだと怒りながら筆談されていた。
その査問担当者には、私は会合などで何度か会ったことがある。私のエピソードか何かを会合で紹介したいと言われていた。機会があれば、友岡さんの査問のことについて、尋ねてみたいと思う。
会食の途中、友岡さんは、食事でむせたのがきっかけか、10分ほども咳き込んでおられた。口元を押さえて、息苦しそうにされていた。単にむせた以外の発作のようなもので、それも査問の後遺症のようだった。この店で再会する以前に、友岡さんは呼吸困難(肺炎)で死にかけ、入院されたことがあったのだが、この店でのように呼吸が苦しくなったのだろうかと察した。とても痛ましかった。
(※友岡さんはDの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)

【友岡さんとの思い出17】
2019年3月下旬、友岡さんは、わかめ漁ボランティアで東北に赴いた際、肺炎になって、宮古病院に入院されたそうだ。以前より体調が芳しくなく、体力も低下していたとのこと。それは最後にお会いした際の様子を知っていたのでよくわかる。
肺炎は快方に向かい、退院の準備をしていたものの、容態が急変して4月2日の15時に亡くなったとのこと。精神的な不安発作で呼吸苦が頻発していたそうだ。肺炎を繰り返して肺が弱っていたところに、大阪での会食の際に見たような呼吸困難の発作が起こって致命的になったのではないだろうかと想像した。詳細は不明である。
あまりに早く、突然に亡くなってしまわれた。友岡さんのおかげで、私が知りたいと思っていた池田先生の状況などを知ることができた。もっと色んな話をききたかったが、誠に残念であった。

【友岡さんとの思い出18】
友岡さんが、2018年頃に、Facebookを通して語っていたことを順次引用する。
下記の中で『本隊』というのは、池田先生のいる場所を意味するようである(『本体』=池田先生という話も見聞きしたことあるが)。仏の軍勢の本陣から来ているのだろうけど、本部職員の隠語って色々あって当たり前のように使われているようだが、どうも違和感を感じる。
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友岡さん:聖教の写真局が、Bが進める「機構改革」とやらで、解体されました。 もちろん、写真局は、聖教や大白蓮華、グラフなどの写真を撮ることもですが、 本隊マークが、2グループあって、過去何十年も、先生と行動を共にしてきました。 動画を撮るシナノ企画のグループもです。 だから、先生の、非公式なものも含めて、すべて画像に収めており、その記録も管理していました。 また、記者1人1人が、先生の行動を具体的に見てきました。 (それは、兵頭さんを中心とした、かつての記者グル―プも同じ) 過日の全体会議で、普通に、淡々と粛々と「機構改革の一環」として、発表されてましたが、上記のことも含めて重大なことです。 つまり、先生の記録は、まず、本隊マークの記者が信濃町にやられ、そしてシナノがやられ、今回、写真局が解体されたわけで、完全に、本部のアーカイブ室が握ることになります。 写真局長だった上澤大樹、前写真局長、市川靖典も、職員ではなくなっています。 僕みたいに、自己退職なのか、免職なのか。
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(※友岡さんはBの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)

【友岡さんとの思い出19】
友岡さんは、池田先生の原稿執筆をサポートするチームのメンバーだったそうだが、そのことに関連する話を引用する。
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友岡さん:一つ、大きな問題は、池田先生の発言なんですが、執行部は、それままったく意に介していません。 そこが、兵藤さんとか、僕への執拗な嫌がらせとなってるわけですが、 つまり、古くは桐村泰次さんや野崎さん(兄)、そして、兵藤さんや僕とかが、ほんとに、先生の意図を十分お聞きして、書いて、そして、先生がそれを吟味されていく。 しかし、第一次自公の時から、それが壊れて、ある意味、役員室(会長)経由、そして、兵藤さんが追い出され、あの丹治チームが、そこをやりだした。 だから、先生が何を言っても、「あああれは、兵藤とか友岡の勝手な発言で、先生の真意は、天下を取れなんだ。弱いものは学会から出て行けなんだ」という、丹治チームの発想が浸透し、その影響下に今でもあるということです。
でも、先生の方針とか、指針とか、直しは、もっとラディカルなものでした。
私:若い頃の先生は、政治のことに関しても、公の場でずいぶんハッキリと言われてましたね。会長を辞めさせられちゃってからは、パワーバランスを考えながらでないと、発言できなくなっちゃったのかもしれませんが。
天下を取れって、なんか下品ですけど、まあ政治やるなら政権を目指すのはわかるんですが、道理を外してそれを目指すというのは、ないわけで。大聖人だって、権勢を求めたわけではないので、大聖人の生き方に学んでほしいものです。
友岡さん:まさに、そうなんですよ。会長辞められてから、パワーバランスをとるようになったし、第一次自公以来、完全に、水戸黄門の印籠としてのの役割におとしめられてしまいました。
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兵藤氏は、聞くところによると、池田先生から「兵藤がいれば学会の思想・哲学は大丈夫だ」といった評価をされていた人らしい。友岡さんも、「兵藤さんだけにはかなわない」と言っていたそうである。

【友岡さんとの思い出20】
友岡さんの話は、将来にわたって、池田先生のことを研究するための重要な学術的資料となる。先生からの発信が生み出される現場に友岡さんは携わってきた人だから。また、創価学会および公明党、さらにこれらが影響する日本の政治の研究にも関わる資料となる。真実を探求するためにも、学会員のためにも、社会のためにも、友岡さんの話が収集され、分析が進められてゆくことが必要だと思う。

【友岡さんとの思い出21】
友岡さんは、ボランティアの話をご自身のFacebookのタイムラインに色々と具体的に書かれていた。ボランティアについての友岡さんの考えを一部語られた内容を引用する。
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私:自公でつるんで20年近くやってるわけで、若いメンバーはそれが当たり前だと思ってます。先生の反戦平和主義もピンときてないメンバーが多いようです。みんな知らないんですよね。先生の指導性がどういうものか、教えてあげることはできると思います。中には気づくメンバーもいるでしょうし。気づかない人はしょーがないです。
先生の考えと組織の打ち出しが一致していない可能性についても、気づく必要があると思います。先生のために選挙がんばってるメンバー多いですし。
友岡さん:僕は、もう少し長いスパンでみていて、一人でも、社会性を身につけた人を(信心しているか関係なく)、具体的な社会の場で、増やしていくしかないと思っている訳です。 だから、生活保護や、ホームレスや、母子・父子家庭、在日外国人で、日本語の読み書きができない、DV被害に遭われているかたとか、 もちろん、被災されたかたとか、そういう現場で、自分を鍛え上げていくことだと思ってるわけです。
釜ヶ崎と東北被災地といわゆる「こども食堂」を通じて、自分も変わってきたし、若いメンバーも、本当に、「対人支援」というもの、そして、その向うにある「平和」というもの、そして、「個人と国家」というもの、に、とても深い考えを持ってくれるようになりました。
おそらく、50人は、この数年で出てきてくれたと思ってます。
もちろん、本部は、それがさらに気にくわないわけですが。
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【友岡さんとの思い出22】
友岡さんは、Bさんのことをとても良く知っているとのことだった。
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友岡さん:じつは、ぼくは、Bと学生部から同期で、第二次宗門問題の時は、一緒に、宗門対策やってたので、とてもよく知ってるのですが、彼ほど、心に、温かさの無い人間は、他に知りません
去年の、アメリカ創大、ボストン21世紀センター、また、先月の四国。 査問のつめ方が、顔色一つ変えずに、周囲が、これは、これからの学会が怖いと思ったそうです。
また、精神的な病で、休職している職員に対する職務規程ペナルティ、また、外郭団体職員の切り捨てなど、ほんとにブラック企業となりました。
私:その査問にはBさんが参加していたということでしょうか?
誰かにやらせていただでなく?
友岡さん:全部、彼がアクセンチュアに、個人データ(健康診断などもふくめて)を取らせて、チェックメイトしたものです。直、Bです。
そして、婦人部を動かして、組織にいられなくする。
私:今日、驚いたのは、彼の青年部時代や、以前見た本幹での厳しい雰囲気がなく、穏やかな感じになっていたことです。
友岡さん:どんどん、やさしくなってますよ。やさしく微笑みながら、自殺未遂とかまで追い込みますから。
私:普通の会員が彼を見たら、いいひとじゃないかとしか思わないはずです。かなりのパワーの持ち主ですね。笑
友岡さん:組織のかたの死亡報告もそうですよね。
支部長が入力したら、自動的に、弔電と現金引きだしと、名誉称号が、宅配業者などに出力されるシステム。
会館の清掃を外注。
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(※友岡さんはBの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)

【友岡さんとの思い出23】
次に、友岡さんと教学の話題について意見交換を紹介する。
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私:安保法制のように、はっきり先生の指導性と矛盾するものがあるなら、そのように指摘することはできます。なので、私は反対の署名活動をしましたが。
教義改訂の問題について、もっとちゃんと説明せよと主張することはできますが、それは一意見と扱われておしまいでしょう。研究が進んでゆくことで、新事実が明らかになったら、修正が加えられることがあるのは有り得る話だからです。
なかなかグレーな感じで先生の思想とか温かさとかが抜かれてゆくかもしれません。
友岡さん:残念ながら、研究は進んでいかないのです。 「研究」する人を、すべて追放するというところから、 今の現状の直接の出発はありました。 現状肯定、自公連立維持のため、異分子追放のための教学を、とBから言われて、 それはできない、と言った、遠藤さんたちが、追放処分となったわけです。
「教学なんて、大白蓮華の今月の教材でいいんだ。財務ならば、財務、法戦ならば法戦を応援する教学でいいんだ」というのが、Bの恫喝でしたから。
それで、教学とはまったく関係ないBが、教学部のトップとなり、Bの腰ぎんちゃくも森中だけが残り、 教学はまったくやったことがない、宮田が、Bの昔からの子分ということで、教学アドバイザーとなりました。
御書の改訂作業も、遅いペースで進んでいたのですが、それも中止。
たとえば、大白蓮華で、「今までは、弘長二年といわれていたが、建治もしくは弘安年間の説もある」とか書いているのは、
御書の改訂作業ででてきた蓄積であり、それが、「財務と法戦」に引っかかれない部分では、大白蓮華に書けるということです。
私:なるほど、学会組織内での研究は進まなそうですね。
先生が亡くなった後にどんなイヤ~な仕掛け・ロジックを用意していることやら。遺言メッセージの捏造とか?色々指導してきたけど、最後の最後に本門の弟子への遺戒26箇条を残す!みたいな。笑
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(※友岡さんはBの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)

【友岡さんとの思い出24】
以下は、友岡さんが語った池田先生の記録の焚書の話。非常に驚いた。
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友岡さん:教学をすると「ロクなものにならない」と、例えば関西では、江戸時代の行学院日朝の和本など、貴重な本が数千冊、焼却処分となりました
私:えっ、組織内で焚書をやっているということですか?
友岡さん:そうそう
私:ありゃりゃ、色んな改訂といい、歴史は繰り返すですね。
創大の図書館の本も心配。
友岡さん:聖教関西の本は、第一次資料が全部なくなりました。 あるのは、改訂された先生の本と、 共産切りとかの本とか、最近の流行本。
私:かなりまずいです。
本幹の先生の肉声とか、すべて保存しておくべきです。将来、ちゃんとした人が分析したら、意図がわかるはずですから。
友岡さん:「本幹の先生の肉声とか、すべて保存しておくべきです」というのは、彼らも、10年以上前から考えてて(逆の意味で)、都合のいいところだけ残して、全部、原本データを消去してます。 シナノ企画が、会長になられたころから、5人×2グループ体制で、公式発言から、ハプニングの出会いまで、全部、記録していたのですが、 「アーカイブ室」というのが出来て、原本から消していってます。 ほぼ消し終わったのとちがうかな。 いくらなんでも、元データは残しとくやろ、と思うのですが、 そうではなく、消すこと専念の部署まで作ったわけです。 直筆も、アーカイブ室で保存とかいって、直筆の何かをいただいた人(特に、人間革命に登場する人)のところから、「重宝として保存します」とかいって、 コピーをそこの家に、置いて、持って帰ってます。 まさに、去年の1月2月は、手元にある、先生の原稿への直筆の指示とか、全部、持って帰りました。 ほんとは、一昨年の12月から、主治医から「長期休暇を」と言われてたのですが、 その作業が2ヶ月かかり、身体症状が出るまでに悪化してしまいました。
私:先生の記録を消すというのは、それが事実ならその一事をもってしても、とんでもないことです。5老僧と同じですが、先生から指示があったと、弁解でもするつもりでしょうか。
友岡さん:いや、公然と普通にすすめられてますよ
私:ほんとに、展開早いですね。まだ創立100年たってないのに。^^
友岡さん:例えば、まだ西口さんが生きてる時、関西池田の事務所で、みんな普通に見てる前で、思い出なんやけどなぁ、本部の指示やから、と先生からの直接のご指示をメモしたノートを何冊もシュレッダーしてました
私:西口さんもそんなことを?
でも考えてみたら、大むかしから、1~3世代ぐらいでややこしいことは起こってますね、人間社会は。
友岡さん:あと先生が写っている写真フィルム、写真なども全部、東京に持っていかれました
私:本部のお偉いさんは、先生を嫌ってますね?先生から厳しく指導されたりして、会長になれないような感じにされて、恨んだりしているのかも。Bさんも、色々裁判で大変なことになってたみたいですが、ハメられたとでも思ってるかも?
こんな苦労して、コケにされて、師匠など知るか、出世して学会を支配して勝つのが全てだ、とでも思ってる人たちがいるかも。
友岡さん:そうですよ。普通にそうです
私:東大は諸悪の根源の指導もありましたからね、創大で。
東大ばっかり。自分たちが権勢を失うのを恐れて、動いたのかも。
友岡さん:いや、全部計算づくです
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【友岡さんとの思い出25】
以下は、組織でアンチ友岡キャンペーンが行われていることを人づてにきいたという話題を振った際の友岡さんの話。組織内の査問の現状についての話も。
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友岡さん:なんか、僕のところには直接なにもない(この1年半)のですが、全然この20年ほど会った事もない、後輩とかに、査問ありまくりですね。 それによって、かえって、創価学会不信をばらまいているんですけどね。 一つは、宮川雄法さんとこも、三人の元職員さんとこも、セルビアも、ある意味、もう打つ手はあまりなくて、だから上に報告するネタがない。 僕は、まだ除名にもなってなくて、打つ手がまだまだあるから、報告できる。点数稼げるという、とても、単純な理由と思います。
友岡さん:査問ありまくりなんです。僕の場合、後半は家に突然黒服集団来た!とかでした
友岡さん:それから、聖教新聞の劇的減部で、販売店の縮小と一石二鳥ということで、ちょっと意見をいうタイプの販売店に対する「査問」「除名」もかなり行われてます。
友岡さん:僕の知りあいも1人査問されました。 その方からきいたら、大阪で、他にも数人いるそうでして、基本は、「円満退職させない」。だいたい、遅くても退職一ヶ月前に解雇する。 そのかたも、一ヶ月前に解雇。 査問は、担当がEで、「オレは何人も販売店のくびきってきたんや。ただですまへんで」と、恫喝されたということでした
友岡さん:僕は、円満退職の一ヶ月前に辞めさせるべく、前年の11月に信濃町での査問がありましたが、 その結果、精神的ダメージで、うつを発症し、ただし、先生の資料とかを何とか守りたいと、医師からは休職の診断書がでていましたが、 12月、1月、2月と、三ヶ月で、電子化と段ボールに積めて、持ち出し。 2月の末で、再度、信濃町に呼びだしがかかりましたが、とんで主治医のところに帰り、 再度、診断書を書いてもらって、 翌朝提出し、3月1日から1ヶ月休職し、「円満退職」 それで、B、Aが怒り、Fを通じて,関西での査問を7回続けたということですね。
友岡さん:そうそう、関西○○本部長のDですが、関西の査問チームのトップの一人で、G、Eと争って報告をBに上げて点数稼ぎしてます。
関西はFとE、G、Dが、お互い牽制しながら、査問の報告を競ってます
私:(※Dさんについて)もう時期引退の年齢では?
友岡さん:じつは、2、3年前に定年でしたが、査問担当を自ら引き受けて寿命延ばしました
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(※友岡さんはA、B、D、E、F、Gの実名と○○の役職を書いていましたが、一旦伏せてあります)

【友岡さんとの思い出26】
次は、友岡さんが語った選挙についての池田先生の話。
事実なら、先生と幹部たちとの対立の構図は政治を絡めて起こっていることを示唆する内容。「先生のために公明支援をがんばる」というメンバーは多いが、見当違いであることは、一つここからもうかがえる。
実際に兵庫から出てる伊藤孝江さん、高橋みつおくんはかわいそうだな。
まぁ、いまどき、公明党から出ること自体が不勉強で愚かなんだけどね。無理だろうけど、筋を通した戦いを一発かましてほしいものだ。^^
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友岡さん:先生は西口さんに「兵庫は絶対、参議院出してはいけない。出したら、自民と学会本部の応援を頼まなきゃならない。そうすると関西は自民と東京(学会本部)に支配されちゃうぞ」と言われました。直接聞きました。 その通りになりました。
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同様の内容はネット上にも落ちていた。友岡さんが他の人に語ったのだろう。より詳細に語られていたので、参考資料として以下に引用しておく。
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例えばこんな指導が目の前でなされたことがあった。
ある時、先生が西口総関西長(※西口良三1938~2015.3.15 没)に向かって、
「兵庫は絶対に参議院出すな!出したらいけないよ!
東京(※創価学会の執行部)がいくら言ってきても絶対に出したらいけないよ!
なぜなら、兵庫は世帯数が少ないから、もし出せば、自民党と本部(※創価学会)との付き合い方を変えなければならなくなる。
そうなれば、関西が本部(※創価学会執行部)の下になるよ。
そして学会が自民党の下になるよ。」と言われた事があった。
これを聞いた西口さんは悩んだ。実は尼崎市等の婦人部幹部が兵庫県から参議院議員を「出したい、出したい」と言っていたからだ。
でも、先生がああ仰っているんだからと、西口さんが生きているときは、兵庫県から参議院候補を出さなかった。
でも今回(※2016年)は出してしまった。
案の定、それ以降の関西は、自民党と創価学会本部(※執行部)の
下の立場になった。池田先生の言った通りになった。
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【友岡さんとの思い出27】
池田先生の原稿の執筆をサポートするメンバーがいることは、ある意味、常識である。問題は、先生のスーパーヴィジョン(監修)がどの程度利いているかである。先生の意思に反した原稿が作られ、それにより会員が操縦・利用されているようではまずい。
代筆については、複数の人に聴いたことがあるが、友岡さんにも尋ねてみた。
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私:今年は、なんだかSGI提言の感想論文を書こうという気になりませんでした。今は誰が書いてるんでしょうね?いつも同じ文調文体でまとめてますよね、長年。同じ人が仕上げてるのでしょうか?^^
友岡さん:そうですよ
友岡さん:水野さんと言う良心的な方がずっと書いているのですが、締め付けがどんどんきつくなってて、どんどん機械的生産となってます
私:メンバーが書いて先生宛に送っている提言の感想文は、水野さん読んでらっしゃるんでしょうかね?^^
友岡さん:そのルートは基本的には切れてます
私:感想文を集めているだけで、先生にも水野さんにも届いていないということですね?
先生への報告に対して、伝言やメッセージが帰ってきますが、あれもどのくらい御本人から来ているのか結構疑問です。以前、会合で谷川さんが先生からの伝言を話していましたが、メモも見ずに定型文のようなものを喋っていたので、いま作ったんじゃないのかと勘ぐられました。^^
友岡さん:それは、ずいぶん以前から書いていらっしゃいませんよ。
基本は、2000年代からは、先生が観ることも読むことも、まずなくなったと思ってください。
伝言については、それ以前から、たとえば、何かの作品やアルバムをごらんになって、つぶやかれたことを、第一庶務の随行のメンバー、押金さんや、須田さん、時には、第一庶務随行メンバーが遅れるときもあり、その時は、本隊マークの聖教のメンバーが、メモしておいて、その「つぶやき」が、ご伝言になりますね。
私:友岡さん、ありがとうございます。先生へのお手紙やご報告が先生に届かないのは、先生の指示によるものなのか、他の幹部の先生への配慮や妨害によるものなのか、というところが気になっています。もちろん、膨大な数の報告等を全部見れないから、気持ちだけ込めて代わりのものにメッセージを託すというのもわかるところはありますが、妨害はまた違います。
いい加減な人間に先生を理由に自分や他のメンバーが利用されるというのは許せません。
まともな自立した人間として生きてゆきたいです。
友岡さん:まず、膨大なので、かつては、手紙の封を切って、また、報告書も、第一枚目を表にして、またアルバムなども、一目でわかる部分を表にして、80畳ぐらいの部屋にずらっと並べてたんです。
そして、先生がそこの部屋に入って、まるで美術館とか、博物館みたいに、ごらんになるわけです。
それで、ほんとに手に取られるものもある。
でも、基本、差出人とか製作者は、わかるように、付せんをはったりして、並べとくわけです。
それが、ご高齢であるとかで、先生ご自身の身体的な課題もあり、「長谷川一任」とかになっていき、 また、第一庶務も先生のお体第一で、基本はお見せしない。 製作者や差出人の名前一覧をお出しする。 それは、ある意味、執行部としては、先生と個人とのつながりを断つという、目的に合致していたので、
自然とそういうようになっていった。
私:なるほど、なんとなく経緯の推移はわかります。
友岡さん:オウム真理教の先生に対する攻撃は、執行部にとって、先生幽閉の絶好の理由となりました。
友岡さん:先生は、とても、好奇心旺盛なかたで、僕らの、報告書(成果報告ではなくて、先生の原稿の資料の報告)で、どんどん勉強されるんです。
翌日とか、ほとんど、そらで覚えていらっしゃいましたよ。
ある意味、先生と僕らの競争でしたね。
私:先生かわいそうですね。
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【友岡さんとの思い出28】
以下は、池田先生のご健康についての友岡さんの話。
本当に先生が指揮をとれない状況ならば、本部は会員を騙す詐欺を行っていることになるのだが。
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私:池田先生が2010年に本幹に出られなくなったのは病気で倒れられたからだという話は、知ってる人は知ってることなんでしょうか?最近、創大を訪れた際、ある先生が衆知の事実かのように、そう話をしていたので。
友岡さん:最初に急にキャンセルされた本幹で、ご病気で、とアナウンスされてました
ただし、その回だけみたいな言い方でした
それが長くなり、「見守っている」という話になりました
私:そうでしたか。じきに「お元気な池田先生」みたいな話になってたように思いましたが、「お元気な」というのは「生きている」という意味にしかならないですね。その後、回復されてきているとも聞きましたが、ご高齢ですからね。
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また、別のタイミングで、友岡さんは、先生は認知症であり、昭和天皇の晩年を思い出して下さい、と語っていた。